安全対策 45・笠無自治会ホームページ  平成20年4月1日発足(世帯数 94) 隣保数 10   2016年4月1日現在
住みよい地域を目指して笠無自治会

家庭でできる地震防災対策私たちの住むこの地域は平成20年4月新しく笠無自治会を発足させ22世帯でスタートし8年目の現在94世帯まで増えてまいりました
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かわつ故郷かるた。    新学期通学路の安全を守ろう笠無自治会
 公民館だより  人と防災未来センター研修・6月27日  夏休み笠無子供会   
7月22日:歴史探訪~出雲の神々(スサノオ)を訪ねて 

・・・変わりゆく川津の歴史がこの故郷かるた四十四点にこめられています。・・・戻る
一面にあずまや浮かぶ弁天池
弁天池は、松江市西川津町の楽山公園にあります。「御池」という名が残っていますが。
池畔に弁財天がまつられていることから、弁天池と呼ばれるようになりました。あずまやがあり、
夏から初秋にかけて一面にすいれんの白い花が咲きます。
六千人もの学生が学ぶ島根大学
島根大学は、昭和24年、国立の新制大学として設置され、現在は国立大学法人島根大学として
5学部法文学部、教育学部、医学部、総合理工学部、生物資源科学部、大学院を合わせ
約六千人もの学生が学んでいます。この大学は、学園地区川津のシンボル的な存在です。
半世紀過ぎても悲しい紫雲丸
昭和30年5月11日、川津小学校の修学旅行団66名が乗船した宇高連絡船紫雲まるは、瀬戸内海の高松沖で午前6時56分貨物船と衝突、沈没。同小学校の児童教員、保護者の25名が犠牲となりました。
小学校の一角に紫雲丸遭難記念碑が建てられています。
にぎやかに橋本子どもみこしがねり歩く
松江市西川津町橋本町内会は、平成2年4月から「橋本子どもみこし会」を設立し、子どもたちの健やかな成長を願い。毎年秋には、幼児、小学生約百名がハッピ姿で、神輿(みこし)、太鼓、、鐘、ボンボン等を持ってにぎやかに町内を練り歩きます。今では、この地区の伝統行事となっています。
ほんそ子をみんなで守らや育てらや
ほんそ子とは、かわいい子、いい子、という意味でつかわれています。平成17年から民児協主導により
かわつほんそ子守ら会が結成され、会員の人たちは、小中学校児童、生徒におはよう気をつけてお帰りと声をかけながら、見守り活動を行っています。
平成の産業めざすビジネスパーク
ソフトビジネスパークは、島根県が、総事業費三百十億円で島根大学北側の丘陵地役78ヘクタールを
造成し、建設した研究開発型の工業団地です。中核施設は県立産業技術センターで産・官・学の連携を進め新産業の開設を目指しています。
とんと昔かわつに河虎が追ったげな
かわつの民話の一つに西川津の河虎〔カワコ,カッパのこと)の話が残されています。
昔、西川津の川にカワコが住んでいました。時々陸に上がっていたずらをしていましたが、ある時、村人につかまりもう決して悪いことはしませんと証文を書いたということです。
彫刻家足立碧圃は郷土の誇り
足立碧圃(へきほ)は、本名亀太郎といい、松江市西川津町大内谷の農業足立増太の長男として、安政六(一八五九年)年に生まれました。幼時より絵画、彫刻を好み、明治11年に上京、彫刻家高村光雲に師事。各種展覧会に入選し、名声を高めました。
涼もとめ熊井の滝にそうめん流し
熊井の滝は、下東川津町中尾地区にあり、市内でも数少ない滝の景勝地です。嵩山の湧水が滝となって流れ落ち、その水は冷たくて、年中枯れることはありません。滝の周辺はひんやりとした冷気が漂っています。夏には、その冷たい水を使ってそうめん流しが行われています。
主さがそう夢がひろがる金山古墳
金崎古墳は、松江市西川津町夢が丘団地にあります。前方後方墳、方墳が11基あり、国の史跡に
指定されていますが、昭和38年ごろ、夢が丘団地の造成により、方墳6機が壊され現在5基が残されています。ここに眠っているのはどのような人なのか興味尽きない古墳です。
ルーツたどる川津の遺跡そこかしこ
川津地域の歴史は、朝酌川流域の低湿地とその周辺の丘陵地を舞台として展開してきました。
それを物語る遺跡が川津全域に分布しています。特に朝酌川改修工事に伴う調査で西川津遺跡、原の前遺跡、タテチョウ遺跡から貴重な遺物が発掘され、縄文時代以後の生活がわかります。
輪になって川津音頭で夏祭り
川津音頭は、昭和57年に川津公民館創立30周年記念事業の一環として作成され、町民盆踊り大会などで歌い踊られていました。平成18年の公民館の夏祭りから振付を一新し、大人から子供まで輪になって、楽しく踊っています。皆さんも一緒に踊りましょう。
菅田庵お茶を楽しむ不昧公
菅田庵は、松江市菅田町の有沢山荘にある茶室です、江戸時代松江藩家老有沢家の山荘に藩主松平不味公の指示によって茅葺入母屋造りの茶室、菅田庵が建てられ、不味公も利用したといわれています。この茶室には不味公筆の菅田庵の丸い陶板の額が掲げられています。
幼稚園から大学まである文教の町川津
昭和の初期、川津地区の学校は島根大学の前身、旧制松江高等学校と川津小学校の2校でしたが、恵まれた立地条件などにより、目覚ましい発展を遂げ人口も急増しました。今では幼稚園から大学まで、9つの教育施設が集まる文教の町となっています。
嵩山はヘルンも登ってほめた山
ラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)通称ヘルンは、明治23年8月30日、松江に赴任し英語教師となり
翌年11月まで滞在しました。その生涯に多くの文学作品を残しました。明治24年の春嵩山に登り心という作品のなかでこの山を取り上げています。
蓮華祭奉納相撲は子どもが主役
蓮華祭は松江市西川津町大内谷地区にある薬師堂のお祭りで、毎年7月15日に行われています。
このお祭りでは講中(氏子)の無病息災と子どもの健やかな成長などを祈願するため、子どもの力士、子どもの行事による奉納相撲が行われていました。
その昔木と竹づくりのガラガラ橋
ガラガラ橋は、松江市西川津町橋本地区にあります、現在の橋は、昭和55年11月にコンクリート造り橋脚の永久橋に掛け替えられています。昔の橋は、木材を主体とし、竹材も使われていたということで、橋の上を下駄で歩くとガラガラ音がしたそうです。
土笛の数日本一だよ川津の遺跡
土笛は、弥生時代に稲作とともに中国大陸から日本にもたらされたようです。全国で76個が出土していますが、西川遺跡とタテチョウ遺跡からその大半の47個が出土して、まさに日本一の出土数です。土笛は、まつりの供え物、または神を招く楽器と考えられています。
寝仏さん川津見守る嵩、和久羅
嵩山は標高331メートル、和久羅山は標高262メートルで、川津地区の東端に位置しています。この二つの山を遠望すると、和久羅山は仏さまの横顔、嵩山は胴体に見え仏様がよこたわっているように見えることから、寝仏さんと呼ばれています。
七浦の汐酌み今も薬師堂
松江市西川津町大内谷の薬師堂は享保七(1722)年の建立で年間行事に(七浦の汐酌み」があります。毎年春は3月28日、秋は9月25日に各戸から出かけ、古浦、江角(恵曇)手結,片句、御津、大芦、加賀、の七浦で竹筒に海水を汲んで、海草をとり、薬師堂や各家の清めの水とします。
楽山は藩主が残した名庭園
楽山庭園は、松江市西川津町楽山にあります。かって、松江藩主松平家の別荘でした。
一六六一年寛文元年二代藩主綱隆公の時代に神社、寺院、お茶屋、池を配した庭園がつくられました
現在は、楽山公園として整備され庭園のみが往時の面影を残しています。
昔から熊野神社で神楽舞う
熊野神社は、松江市西川津町市成地区にあります。社号は、棟札の写しによると一五八〇年天正八年「子守三所大権現」とあり、その後一七〇六年宝永三年修復の棟札から「熊野神社」となりました。祭日は、10月9日で古くから神楽が奉納されています。
うみの中太古の川津は眠っていた。
西川津周辺は、6千年前頃、温暖な時期となって海面が急速に上昇する縄文海進が起こり、山裾まで海が広がって古宍道湖と呼ばれる内湾ができました。2千年前ごろから、川が運んだ土砂により湾内が埋まり次第に平野が形成されてきました。
のろし上げた風土記の頃の布自枳美高山(嵩山)
出雲国風土記では嵩山は布自枳美高山(ふじきみたけのやま)といわれ烽(とぶひ)があったことが記されています。烽とは狼煙(のろし)や火を上がて緊急を伝えるための施設です。変事あると郡の役所や国庁、軍団に情報が伝えれれたことでしょう。
隠岐道を駅鈴たずさえ国司が行くよ
風土記の時代(奈良)出雲国庁(松江市大草町)の役人は、朝酌の渡りを渡り、嵩山の麓(ふもと)を通って千酌駅(ちくみのうまや)〔現、美保関町)へ着き、ここから船で隠岐へ行きましたが、この道を隠岐道と言いました。駅鈴は、役人が公用で出かけるとき持参した鈴です。
弥生人川津でも稲を作ってた
朝酌川遺跡群の発掘調査から、この川津地域では、弥生時代から稲作が行われていたことがわかりました。出土した農具の鍬(くわ)や鋤(すき)は当時もいまとほとんど同じ形です。ムラごとに春は豊作を祈り、秋には収穫に感謝する祭りも始まり、まつりの道具に銅鐸(どうたく)もつかわれていたようです。
奇しき効き目家伝の薬で「奇験反花」
「奇験反花」とは、江戸時代西川津まち大内谷に住んでいた医者の名前です。家伝の密約でマムシにかまれた人の治療を行い「毒を癒すこと奇にして早い」ことから、松江藩より、氏を(奇験」とし、名をマムシの種類から由来する「反花」とすることを許された。
守りたい緑豊かな川津の自然
昭和30年代の川津地区は、人口も少ない農村地帯でした。昭和40年代から朝酌川の改修工事、松江北部土地区画整備事業、住宅団地の造成等により地域の環境は大きく変わりました。これからは嵩山や楽山をはじめ緑豊かな自然を守り大切にした町づくりが期待されています。
健児たち「じゃに勝てじゃに勝てえっと勝て」(川津応援歌)
大正時代の初期から昭和にかけて川津のスポーツは大変盛んになり、選手が各地の大会で大活躍しました。その当時、応援団が声高く歌った応援歌がこれです。「俺らだんちゃ川津の建男児じゃに勝てじゃに勝てエット勝て」。以来、この歌は川津地区で愛唱されています。
舟神事安全いのる龍宮祭
龍宮祭とは西川津町市成地区で江戸時代から行われているお祭りのことです。毎年7月1日、熊野神社で祭典を行い、市成灘まで神幸行列を行い、さらに朝酌川中流の祭場へ舟行列を行う神事です、
水上安全と豊作、大魚を祈って龍宮さんを祭ったと伝えられえいます。
豪族が残した石室西宗寺
西宗寺は松江市上東川津町にある浄土真宗のお寺です。その本堂裏に石棺式石室の西宗寺古墳があり、7世紀ごろの築造と言われています。現在、石室が露出しており、中をのぞくことができます、当時
この地区に勢力をもっていた有力者、豪族のものと思われます。
江戸の世に初めて川津と名がついた。
川津地区は風土記の時代島根郡山口郷(しまねこおりやまぐちのさと)と呼ばれていました。中世になると、この地を支配していた豪族、長田氏の名をとり(長田東郷」(長田西郷」となります。文献上
江戸時代になってから初めて「川津」「上川津村、西川津村」という地名が出てきました。
天馬坂昔あそんだ通学路。
天馬坂は、西川津町橋本地区にある石段が連なる坂道です。この道は、上東川津町へ通じる村道
、宮尾神社の参道でもあり、天にも昇る坂道という意味から天馬坂と名がつきました。その昔
冬は雪も多く、子どものスキーそり等の遊び場、普段は通学路として利用されていました。
青パトさんみんなを守り今日も行く
青パトとは青色回転灯をつけたパトロールカーのことです。「川津ほんそご守ら会」が平成17年から
、地域の子どもを見守るため出勤させています。この青パトによるパトロールは、松江市内では
この川津地区が一番早くから取りくみました。
桜並木今も昔も川津小学校
川津小学校は、明治6年4月に創設。返還を経て同38年4月に西川津町柴(現児童相談所)に移り
昭和54年2月に現在地の西川津町宮尾に新築・移転しました。昭和5年、小学校にある桜の木75本が
植えられた記録もあるなど、往時も今も桜の木がたくさん植えられています。
享保の狛犬椎惠さんを守って3百年
推恵神社は、西川津町市成地区にあり享保18年(1733)に松江藩主松平家が創建し、日御碕神社の
小野尊後検校が祭られています。この地域では「すいけさん」と呼ばれ親しまれています。神社の参道の
両側には狛犬が据えられまるで神社を守っているようです。
夢が丘川津団地の第1号
夢が丘団地は、西川津町の金崎山(丘陵)を開発して造成された住宅団地です、団地の名を「夢が丘」と名付けたのは西川津町の地主でした。開発は、昭和35年から始まり、同41年に完成、川津で最初の住宅団地として住宅建設が始まりました。
名工の権兵衛が始めた楽山焼
権兵衛とは陶工、倉崎権兵衛重由のことで、西川津町市成の楽山焼の元祖(初代)です。権兵衛は
松平家3代藩主綱近公が長州(山口県)から招いたといわれています。この窯では布昧公の指導もあって、現代にいたるまで一貫して雅趣豊かな茶器中心の伝統が守られています。
未来になう若者行き交う学園通り
学園通りは、川津地区の新しい街あたらしい顔です。この地は、昭和46年まで水田地帯でした。
昭和47年から松江市北部土地区画整理事業が着工され平成10年度に完工しました。
以来、商店等が建ち並び、学生をはじめ若い人達が行き交う人気スポットとなっています。
人面付き土器昔を語る宝物
人面付き土器は、西川津遺跡から発見された
弥生時代前期の土器で、蓋(ふた)か壺(つぼ)についていたものです。鼻が高く面長の顔立ちは稲作
を伝えた渡米系の弥生人をほのかに感じさせます。出土例が少ないことから、特別の用途に
使われた土器と言われています。
人集い生涯学ぶ川津公民館
川津公民館は、昭和27年、松江市で最初の公民館として創設されました
現在、住民のニーズによる様々な事業、活動が展開されています。特に生涯学習を始め、地域福祉
青少年健全育成、国際交流等に力をいれ、年間4万人を超える地域の皆さんの利用があります。
もっと打てもっとひびけ川津ふる里太鼓
川津公民館の働きかけにより、平成18年に大締太鼓をはじめ11個の和太鼓が購入され、「かわつ故郷太鼓」と名ずけ、また、同好会、振興会が結成されました。子どもたちが郷土愛に燃え、力一杯太鼓を打ち鳴らし、あたらしい川津の伝統行事となるよう期待されています。
世界の人と心通わす国際交流会館
松江市国際交流会館は、平成4年6月に川津公民館との複合施設として建てられました。同館では
松江市の国際交流員をはじめ、留学生やその家族が、この複合施設という特性を生かした交流活動を行うなど、国際親善が自然な形で行われています。
推恵さんの龍 夜な夜な遊びに出たそうな
川津の民話の一つに「夜なかに抜け出す彫り龍」があります。推恵神社本殿の破風(はふ)には、
体をくねらせ、目をむきだした龍の彫り物があります。この龍は、夜な夜な破風から抜け出し
楽山の弁天池に水を飲みに行ったり、人に化け人家に行ったりしたということです。
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